
十和村はこんな風景の中にあります。
|

茶畑は四万十川のほとりの山の斜面にあるので、
茶摘みは機械ではなくすべて手摘みで行っています。
|

四万十のお茶が生まれる第二製茶工場。
|
 |
|

最後の清流四万十川中流域に位置する十和村(とおわそん)。
その十和村の広瀬(ひろせ)井崎(いさき)という集落に、世帯数合わせて110戸、人口335人が住んでおり、広瀬・井崎は通称広井(ひろい)地域と呼ばれています。
村内で一番少ない人数の小学校、広井小学校(全校児童14名)もあり、子供達は恵まれた環境のなかで、すくすくと育っています。
昔から、椎茸やお茶、蚕、栗の栽培や、目の前を流れる四万十川の恵み、鮎、川エビ、うなぎ等の漁も盛んです。
|

十和村でお茶の栽培がはじまったのは、昭和42年頃から。当時、十和村では紅茶を栽培していましたが、紅茶の需要低迷により新しい作物を導入することとなり、緑茶栽培を始めました。
地元の農協が茶工場をつくり、静岡お茶問屋に販売されていました。
だんだんと軌道にのりはじめた昭和50年には、栽培面積も拡大し一つの茶工場では加工が間に合わなくなったということもあり、面積、栽培が多い広井地域で茶工場を建てることとなりました。それには、地元の受け皿も必要ということとなり、地元のお茶生産者(80名)が出資しあい、「広井茶生産組合」を発足させたのです。
|

森田良徳さんは、広井茶生産組合発足以来組合長をしています。
組合長といっても、報酬があるわけでもなく、生産者と農協そして行政の調整や会のとりまとめが仕事です。「はじめた頃は、自分も若くてこのお茶工場を何とかせなぁいかんという気持ちでお茶をつくりはじめた。」と森田さん。一番しんどかったことはと聞くと「お茶はここの産業の中で一番安定しているもの。しんどいこともあったけど、続けてきて良かった。」
四半世紀以上も続けていく中で、さすがに苦労も多いが継続している力には頭が下がる思いだ。 |
|